理想と現実のギャップで苦しんでうつ病になるという説
僕はうつ病の症状が出ているのですが、自分がうつ病だと認めることができていませんでした。
しかし、以下の記事を見て自分がうつ病だと認識することができたので、その内容を記録しておきます。
鬱になり、もがいて、復活して、いろいろ考えた結果、鬱は創造的自己破壊だと思った | 村長ブログ
・今になって思うと、鬱は私にとって創造的自己破壊でした。
他の鬱経験者も同じようなことを言っています。
それは、その人が、より豊かな一つ上のステージに上がるために、どうしても必要な自己破壊だったのかもしれません。
・鬱なんて、自分が掲げていた理想と、目の前につきつけられた現実のギャップに苛まされて生じるものでしかなかった
・きっかけは様々ですが、心の中で起きていることは、たいてい同じのようです。こうあるべきだ、こうあって欲しい、と考える理想と、目の前に突き付けられた現実にギャップを感じ、そのギャップが大きすぎるとか、小さくても許すことができない状態で、そのギャップを乗り越えるだけの気力が無くなった時、人は鬱状態に陥る。メカニズムとしてはこれだけのことだと。
・今思えばですよ、鬱で苦悩していた当時に持っていた理想像なんて、その中身はスッカラカンでした。実力を伴っていないですから、そんなもんは理想と言うよりただの願望でしかありませんでした。
・ではなぜ、そんなスッカラカンの理想が構築されるのか。それは、幼少期からの教育の賜物か、理想を高く据えることを要求され、それが自分の中根付いていくことが一因だと思っています。
・さて、この時に何かのキッカケで、理想とはかけ離れた、衝撃的な現実を突き付けられたとします。
・高い理想と衝撃的な現実の、どうしても埋まらないギャップを認めないでいると、実力がバブルなのに「バブルなんかじゃねー!」とそれを認めないでいると、いよいよ鬱になる環境が整います。
・後は、何かの拍子にスイッチに触れれば、鬱になります。もうそこまでの環境が整ってしまえば、スイッチを強く押すほどの力は要りません。触れるだけで充分です。周囲の人からすると「え?そんなことで?」と思えることであったとしても、スタンバイ状態に入っていれば簡単にスイッチが入るのです。
・それまでの過程を把握せず、その瞬間だけを切り取ってしまうと、「あんなことで鬱になるとは、なんて弱いやつなんだ」というレッテルを貼られるかもしれませんね。いやいや、過去があって、今の自分があるわけですから。物心ついた時からこれまでの生い立ちの中で、知らず知らずのうちに鬱になる内外の要因が整ってきてたんですよ。
・プライドを捨てて、空虚な理想を壊して、着実に積み上げたもので力強く生きていく。鬱にでもならない限り、そんなカンタンにぶち壊せないです。マインドを変えることはできないです。だからその生き方に気づかせてくれる鬱は、やはり創造的自己破壊だと思います。